三井物産のIRを分析して、志望動機やESの作成に役立てよう!

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この記事では、商社の中でも歴史が古く、日本初の「総合商社」とも言われている「三井物産」について会社研究を行います。

また、財閥系商社ならではの安定性も持ち合わせています。

今回はそんな三井物産についてを分析・解説していきます。

また、記事の内容としては三井物産の歴史を中心に解説していき、現在の事業モデルなどの解説も行います。

このような歴史のある企業の場合には、会社の歴史などが重要となりますので、しっかりとこれらの点もチェックしましょう。

三井物産の歴史をチェック!

それでは、まずはじめに三井物産の歴史をチェックしていきましょう。

そもそも 三井物産は「三井」の財閥系商社です。

そのため、まずは「三井家」の歴史をチェックしましょう。

ルーツとしては、平安時代の藤原道長の後裔ともされており、歴史ある家柄となっています。

「三井」の名前のルーツが平安末期1100年頃に琵琶湖周辺で三つの井戸を見つけ、そこに様々な財宝があったことから、この三つの井戸にちなみん、藤原姓から三井姓に改めたと伝えられています。

その後、三井一族は滋賀県の近江にて武士となります。

(余談ですが、近江をルーツとする商社は「伊藤忠商事」や「丸紅」「双日」など実は数多くあります。

三井物産のルーツは近江にはないのですが、もし近江であれば今以上に商社の原点と言われる場所になっていたでしょう。

しかし、その後、織田信長によって近江が攻め込まれ三井一族は近江から伊勢の地に逃れ、松阪の近くの松ケ島に居を移します。

この人物こそが三井グループの祖・三井高利の祖父であり「三井家の遠祖」と呼ばれる人物なのです。

これらにちなんで、三井家発祥の地は三重県の松阪と言われています。

では、次に「三井物産」の歴史を紐解いていきましょう。

三井物産の設立を見ると「1947年(昭和22年)7月25日」と記載されており、かなり最近に設立された会社という印象を抱く人もいるかもしれません。

実際には、1876年7月1日に「三井物産」は設立されたと言われていますが、法的には1876年に設立された三井物産(旧)と現在の三井物産には継続性はないことから、全く別の企業体と言われています。

そのため、現在の三井物産の設立だけを見ると「1947年(昭和22年)ではありますが、流れを組んでいるという意味で、この三井物産(旧)から解説していきます。

ちなみに、この旧三井物産について、三井物産のホームページでは

「挑戦と創造」の源はここにある 三井物産の「挑戦と創造」の精神は役職員一人ひとりにしっかりと受け継がれています。

(出典:三井物産株式会社HP)

と記載されていることから、同社を受けるのであれば外せないポイントになると言えるでしょう。

<三井物産(旧)の設立>

1876年7月1日に誕生した旧三井物産は職員16名という比較的小規模でスタートしました。

設立当時から三井組の支援を受けていましたが、創業当時社長を担ったのが27歳の益田孝氏でした。

当時から益田氏は「大いに貿易をやろうというのが眼目であった。

金が欲しいのではない、仕事がしたいと思ったのだ」

その後、急速な拡大を続け、設立からたった4年足らずで、上海、パリ、香港、ニューヨーク、ロンドンなど海外にも支店を開設し、事業を拡大しました。

この当時の日本は、“欧米列強に追い付け、追い越せ”という考え方が広く認知されており、少しでも欧米列強に近づこうという考えが主流でした。

そこで、旧三井物産では伸びていた「綿糸紡績業」に着目します。

当時、世界で最も良い紡績機械と言われていた当時、英国のプラット社製の紡績機械の輸入を手掛け、「綿糸紡績業」の会社へ売り込みを強化しました。

世界的に最も進んだイギリスの製品であり、同社の製品は他の紡績機械よりも性能がよかったことから、多くのシェアを占めるようになりました。

実に、日本に輸入された紡績機械の実に約85%を占めていました。

さらには紡績業で必要不可欠な綿花の輸入についても、上海支店を拠点に行っていた中国綿に加え、インド綿の取引も開始しました。

まさに、設立当初の思想通り、貿易に徹することで商社としても順調に規模を拡大していくようになります。

また、「旧三井物産による豊田佐吉と豊田自動織機への支援」についても大きなトピックスになります。

今でこそ日本を代表するトヨタ自動車ですが、そのルーツである豊田自動織機に至る過程は苦労の連続でした。

豊田佐吉が発明した動力織機の性能や技術を認め、旧三井物産では10年契約で動力織機の一手販売契約を結び、資本金の全額を出資し、三井のマークにちなんだ井桁商会を設立させたり、豊田自動織機製作所の設立の支援を行うなどを行いました。

その結果、 三井グループとトヨタグループの関係性は非常に良好なものとなり、それは現在にも続いているのです。

特にライバルともされる「住友」グループがトヨタ自動車が窮地に陥った際に資金を回収するなどを行ったこともあり、トヨタ自動車と住友の関係性はよくありませんでした。

そういった点も踏めると三井グループとトヨタグループの良好な関係性は現在にも続いており、大きなトピックスと言えるでしょう。

このように非常に順調な歩みをしていた三井物産ですが、戦争の影響によって残念な結果となってしまいます。

GHQによって財閥の多くは解体されることになります。

そして、それはもちろん、三井物産も例外ではありませんでした。

結果として、三井グループの中核企業であった「旧三井物産」は解散することになります。

<現在の三井物産の誕生>

実際に1947年に旧三井物産は解散してしまいますが、同じ年に旧三井物産の有志が集まり「第一物産」が設立されました。

その後、様々な連携や合併などを経て、正式に1959年に現在の三井物産が誕生しました。

元々、貿易の強かった三井物産のため、貿易・商社業を行い、順調に拡大をしていきました。

旧三井物産解散してから2年後には東証に上場しました。

さらに1960年代に入ってくると、 現在の三井物産の強みでもあるエネルギー分野に力を入れていきます。

アメリカ・モービル石油との合弁会社の設立やブリヂストン液化ガスへの参加。

さらには現在も三井物産が力を入れている「オーストラリアのエネルギー産業」への展開もこの当時から注力しています。

そして、 現在でも総合商社として、エネルギー・金属分野が強い商社となっています。

また、ここで紹介する歴史以外にも 三井グループのことや現存する三井グループ各社についてを紹介する「三井広報委員会」をチェックすると良いでしょう。

(出典:https://www.mitsuipr.com)

決算状況を分析!

次に、三井物産でのIRの分析を行います。

まずは直近5期分の主要指標です。

(出典:https://www.mitsui.com/jp/ja/ir/library/securities/__icsFiles/afieldfile/2018/06/21/ja_99yuho.pdf)1ページ

やはり、 注目すべき点としては97期の赤字の計上でしょう。

三井物産としては今までで初の赤字となっており、初めての赤字ということで市場関係者には驚きが走りました。

ただ、翌年にはすぐに元の利益の状態に戻っており、現在では過去最高益を目指している状況ですので、決算分析的には問題はありません。

実際に、赤字の要因を見ても、チリの銅事業アングロ・アメリカン・スール(AAS)による900億円の減損を行うなど、一時的なものも含まれてました。

また、 当時はエネルギーや金属の相場がとても低くなっていたことも、要因の一つです。

実際に三井物産が赤字を計上した2016年3月期決算には三菱商事も赤字を計上するなど、総合商社自体が軒並み厳しい状況でした。

そういった意味合いにおいては、この赤字の計上についてはそこまで深刻にならなくても良いでしょう。

ただし、三井物産の事業に占める割合についてはしっかりと確認しましょう。

というのも、 歴史的な経緯なども含めてエネルギーや金属に大きく偏っているのです。

以下のグラフは三井物産の中期経営計画を含めた利益のセグメント別のグラフです。

(出典:https://www.mitsui.com/jp/ja/ir/library/meeting/__icsFiles/afieldfile/2018/05/30/ja_183_4q_ppt_re.pdf)14ページ

これを見てもわかる通り、圧倒的にエネルギー・金属の方に偏っています。

実際に 18年3月期は4185億円の利益のうち3062億円がエネルギー・金属から稼いでいることがわかります。

19年以降は計画ですので、 金属の利益の比率を落としているものの、本当にバランスよく稼げるのかどうかが重要と言えるでしょう。

というのも、どうしてもエネルギーや金属の場合、中長期的には世界人口が伸びているため、伸びていくはずですが需要によって市価が大きく変動してしまい、利益が安定しない側面があるためです。

それでは、次に企業の基礎データをみていきましょう。

平均勤続年数や平均給与は以下になります。

平均年齢が42歳で平均勤続年数が18年6ヶ月となっています。

年収水準としても 平均年間給与が1419万円と他の業界と比べてもかなり高い水準となっています。

(出典:https://www.mitsui.com/jp/ja/ir/library/securities/__icsFiles/afieldfile/2018/06/21/ja_99yuho.pdf)15ページ

転職サイトのDODAの調査によると42歳の平均年収は521万円となっており、三井物産の年収の高さが顕著に現れています。

(出典:https://doda.jp/guide/heikin/age/)

まとめ

この記事では、三井物産についての分析を行ってきました。

特に三井物産の歴史を振り返りながら、現在をみていきました。

総合商社の特徴を表す言葉としてよく言われるのが<人の三井>です。

他の総合商社では「組織の三菱」や「結束の住友」と言われていますが、ここでは<人の三井>についてを詳しく見てみましょう。

まず、 三井の最大の特徴が財閥でありながら、その結束は他の財閥と比べて「弱い」のです。

実際に三井物産のメインバンクは一時的には三井銀行ではなく、富士銀行が担っていたこともあり、組織力というよりは 人間力が重視されている社風とも言えます。

さらに、 人材の輩出企業 としても有名です。

戦前の大日本麦酒(現在のアサヒビール・サッポロビール)や三井住友海上火災保険)、東レなどは旧三井物産出身者の設立した企業が少なくないことからも「人の三井」と言われる所以です。

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